いきなり極論を言ってみます
ヒトという生き物の性は「物語」に支えられている
別に催眠音声に限らず、一般にオ◯ニーというもの、それぞれのヒトは「お気に入りのシチュエーション」があって、それを空想しながらしているわけだし、
これを言ったら身も蓋もないけど、「恋愛」や「結婚」があんなに面倒くさいのにみんなやっているのは、そこに「自分とパートナーの二人だけの物語性」があるからでしょう。「このパートナーとは◯◯何も交際していて、あんなこともあった、こんなこともあった」という物語が気持ちよいから、離れられない
で、ここからいつもの催眠音声のハナシに戻ると、実は成人向け催眠音声の気持ちよさというのは、この「好きなシチュエーションの物語に没入して快感を得る」の「物語」のところを切り出して、かつ、「あたかも隣にホンモノの異性がいて話しかけてきてくれている」と錯覚させることで、物語に強烈に没入させるってだけ、とも言える。こうまとめると、そんなに怖いものでも不思議なものでもない
そして、これまでも強調してきたとおり、そんな催眠音声を極めることで、
最終的には、「物語」に没入しているだけで、肉体のほうをいじらなくとも、脳内の空想だけでイッてしまうことがある、これが「ドライオーガズム」というわけで、他人を誰も傷つけない、完全な自己完結です。ぜんぜん健全な性欲の処理の仕方と私は思うのですがいかがでしょうか?
まあ、実害があるといえば、ありまして、のめり込みすぎるとリアルなパートナーを作る努力をしなくなるということだがw、まあこれは、人によってはデメリットではなく、無理な生き方をしなくてよくなるという意味でメリットかもしれない…あ、この論点はあまり深入りしませんですよ
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